感想・印象など
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この日(毎年9月の第2日曜)は、奥多摩の小河内神社の例祭であり、原・坂本・川野という3つの集落に伝わる獅子舞(いずれも東京都指定無形民俗文化財)が奉納される。小河内神社は、小河内ダム建設により水没した地域のすべての神社(温泉、金御岳、箭弓、貴船、愛宕、熊野(青木)、御霊、加茂、御岳(留浦)の九社十一祭神)を勧請、小河内地域の総鎮守として祭祀したものである。今回はこの3つの獅子舞の内、原の獅子舞を撮影した。今回は保存会の方のご好意により練習風景も撮影させていただいた。練習は奥多摩湖沿いの原生活館という集会所のようなところで夜の7:30頃から10:00頃まで行われた。練習はふだんは月一回行い、祭礼の2週間くらい前から一日おきに行うそうである。 |
東京都指定無形民俗文化財「原の獅子舞」について
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「小河内 原の獅子舞」は天文11年(1542年)に氷川小留浦の村木家より秘伝書「日本獅子舞来由書」を伝授され伝えられたと言われており、村木家へは山崎角太夫という人が伝えたと言われている(年代不明)。長い年月の間には笛の調べ、歌詞、獅子の狂い方(舞い方)等、宗家の獅子舞とはかなり違ったものとなっている。獅子頭の作者は不明だが、このあたりの他の獅子頭に比べてやさしい風貌をしている。現在の獅子頭は大太夫(金色)、小太夫(黒)が明治時代に火事で焼失したために、(質入されていたために難を逃れたといわれている)雌獅子をモデルに復元した為やさしい顔になったと言われており、日原の獅子頭は原の獅子頭をモデルにしたためよく似ている。
原の雌獅子はお歯黒が施されているがこれは既婚・未婚ということでなく、単に女性の象徴としてのお歯黒の意味合いだと考えられている。獅子頭の下の布(水引)には鶴の絵柄が描かれているが、これはかつて湖底の温泉神社の脇に鶴の湯があり、その昔傷ついた鶴が岩の間から湧出している温泉に身を浸し数日して傷が治り元気に飛び去るのを見てその薬効を知ったと言われ、その鶴にちなんだものである。温泉神社は鶴の湯の守護神として祀られたもので、その名は最初は湯屋権現または湯の権現と言われていたが、その後熊野三社権現と改め、明治3年に現在の温泉神社と改名された。「小河内
原の獅子舞」は毎年秋祭りには氏神の温泉神社と小河内の総鎮守小河内神社へ舞いを奉納した後、小河内ダムの水と緑のふれあい館内と広場で夕方まで行われている。近年は過疎化などにより存続が難しい状況にあるが、地元をはじめ入間や青梅・小平などの他の地域の人々の支えも受け伝統芸能の保存継承に努めている。
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